2011年 08月 24日
マノンへの想い 8/24
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ご心配をおかけしていますが、相方も僕も悲しみながらもしっかりしています。
マノンが生きた8年の間に、数え切れないほど残してくれたお笑いエピソードのおかげで、
夫婦で大笑いし、そのまま泣き笑いしています。
ジュリアンには今のところ落ち着いています。
毎日マノンにからまれては「やめなさいよっ!落ち着きのない子ねぇ!」とブーブー言ってた
ジュリアンなので、「なんだかこのところ静かね・・・」くらいに思っているのかもしれません。
マノンはジュリアンが大好きでした。家に来たときからジュリアンに相手をしてもらっていましたし、
とにかくいつも一緒でしたから。毎日、毎日、ジュリアンが大好き!って全身で表してました。
いつも夫婦で言っていましたが、ジュリアンが先に逝ってしまったら、残されたマノンの悲しみは
尋常ではないだろうと。マノンの精神的ケアの心配をする時が来ると。
犬種から言っても年齢から言ってもそうなるはずでした。
でも、もうその心配をする必要はなくなりました。
マノンの病気は大学病院で診てもらえば原因がわかって治療できると信じていたので
私たちの想いを何もマノンに伝えられないまま逝かれてしまいました。
だからマノンへ手紙を書きます。
興味ない方や、痛くて見てられない方はスルーしてくださいね。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
愛するまーにゃんへ。
四十九日まではこっちにいるのかい? だったら覚えておいて。
まーにゃんがこれから行く世界には、ジュリアンもママもパパもまだ行けないんだ。
だけど、もう体調も悪くないんだし、美味しいものはあるし、楽しいこともいっぱいあるから、
適当に遊んでてよ。ママとパパのことは心配しなくていいし、待ってなくてもいいから、
大好きなジュリアンだけは時々見守ってあげてよ。いくら好きだからって早く呼んだりしないでよ。頼むよ。
まーにゃんにはいろいろなニックネームやキャッチフレーズがあったよね。
「まにょ」「まのさん」「まーちゃん」「まーしゃん」「まーにゃん」とかね。
知ってると思うけど、最近は「まーにゃんまーにゃん」と2回続けて呼ぶのが流行ってたんだよ。
ウーパールーパーとかケサランパサランみたいだよね。
キャッチフレーズも「不思議ちゃんまにょ」とか「うちの自由奔放さん」とかいろいろあったね。
ここ最近のは「どさくさまーにゃん」。ジュリアンを撫でてるとどこからともなく走ってきて
「あたちも!あたちも!」ってジュリアンに乗りかかるから唸られて逃げてただろ?
その時、どうしてどさくさ紛れに近場の座布団とかクッションをくわえて逃げんの??
パパとママは「まーにゃんのどさくさ祭りがまた始まった・・・(--:」と思ってたんだよ。
体調が悪くなる前のまーにゃんは、毎日が本当に楽しそうだったね。
レトリバー種は我慢強い犬とよく言われるけど、まーにゃんはまさにそのまんまだった。
楽しいことや嬉しいことは体全体で大はしゃぎだけど、辛いことや痛いことは我慢しちゃってた。
ごはんの催促したことはなかったよね、ケガしてるのにヘラヘラ笑ってたり。
まーにゃんのおかげでゴールデン・レトリバーという犬種が大好きになったんだよ。
パパとまーにゃんには日課があったよね。忘れてないよね?
「まーにゃんまーにゃん、カワイイね~」って言いながら眉間を撫でるやつと、
夜寝る前に「まーにゃん、今日もありがとう、明日も元気で」って抱きしめるやつだよ。
ヒミツの日課だったからママも知らないかもね。
パパに毎日言われたから、気力だけで最期の1週間を頑張っちゃったのかな?
苦しい思いをしたならごめん。
あのね、ずっと心にひっかかってたことがあったんだ。
ジュリアンが一人ぼっちだと寂しいかもしれないからと、遊び相手として家に来てもらったのが
まーにゃんだったんだ。最初は2番ポジションだったことをパパは気にしてた。なんか悪かったって。
でも、一緒に生活しはじめて変わっただろう? パパはジュリアンもまーにゃんも同じく愛したよ。
でも、まーにゃんが死んじゃって、この文章を書きながら気が付いて、愕然としたんだ。
まーにゃんはジュリアンにうるさがられても、邪険に扱われようと、時には噛まれそうになっても、
ジュリアンを嫌ったり怖がったりせず、毎日ジュリアンに「遊ぼうよ!」のポーズで尻尾を振ってたね。
それはパパとママが最初に求めたから、生涯をかけて約束を守ったってこと?
ジュリアンが9歳になってシニアになり、自分も8歳になって役目は終わったと思ったの?
そんなの切なすぎるよ、、、まーにゃん。。。
パパとママはシニアになって落ち着いたまーにゃんとも暮らしたかった。
でも、ママにメールをくれたある人が「まにょらしい最期だった」って言ってたらしい。
そうかもしれないね。本当にいつまでたっても子犬みたいに無邪気だったまーにゃんには、
シニア生活は似合わなかったかもしれないね。
ある日突然あっという間にお迎えが・・・ってパターンがまーにゃんらしいね(^-^)
2003年8月19日生まれのマノンは、2004年1月2日から2011年8月23日までは
パパとママとジュリアンと、そして2010年9月28日からはたみえも一緒に暮らしたね。
まーにゃん、生まれて来てくれてありがとうね。
家族になってくれてありがとう。
たくさん笑わせてくれてありがとう。
いっぱい愛してくれてホントにありがとう。
生涯まーにゃんのことを忘れないよ。まーにゃんと暮らした日々を忘れない。
絶対に忘れない。いつも家族の笑いの中心にまーにゃんがいたことを。
(2011/04/17)
大好きなマノンへ この想いが届いていますように。
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マノンが生きた8年の間に、数え切れないほど残してくれたお笑いエピソードのおかげで、
夫婦で大笑いし、そのまま泣き笑いしています。
ジュリアンには今のところ落ち着いています。
毎日マノンにからまれては「やめなさいよっ!落ち着きのない子ねぇ!」とブーブー言ってた
ジュリアンなので、「なんだかこのところ静かね・・・」くらいに思っているのかもしれません。
マノンはジュリアンが大好きでした。家に来たときからジュリアンに相手をしてもらっていましたし、
とにかくいつも一緒でしたから。毎日、毎日、ジュリアンが大好き!って全身で表してました。
いつも夫婦で言っていましたが、ジュリアンが先に逝ってしまったら、残されたマノンの悲しみは
尋常ではないだろうと。マノンの精神的ケアの心配をする時が来ると。
犬種から言っても年齢から言ってもそうなるはずでした。
でも、もうその心配をする必要はなくなりました。
マノンの病気は大学病院で診てもらえば原因がわかって治療できると信じていたので
私たちの想いを何もマノンに伝えられないまま逝かれてしまいました。
だからマノンへ手紙を書きます。
興味ない方や、痛くて見てられない方はスルーしてくださいね。
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愛するまーにゃんへ。
四十九日まではこっちにいるのかい? だったら覚えておいて。
まーにゃんがこれから行く世界には、ジュリアンもママもパパもまだ行けないんだ。
だけど、もう体調も悪くないんだし、美味しいものはあるし、楽しいこともいっぱいあるから、
適当に遊んでてよ。ママとパパのことは心配しなくていいし、待ってなくてもいいから、
大好きなジュリアンだけは時々見守ってあげてよ。いくら好きだからって早く呼んだりしないでよ。頼むよ。
まーにゃんにはいろいろなニックネームやキャッチフレーズがあったよね。
「まにょ」「まのさん」「まーちゃん」「まーしゃん」「まーにゃん」とかね。
知ってると思うけど、最近は「まーにゃんまーにゃん」と2回続けて呼ぶのが流行ってたんだよ。
ウーパールーパーとかケサランパサランみたいだよね。
キャッチフレーズも「不思議ちゃんまにょ」とか「うちの自由奔放さん」とかいろいろあったね。
ここ最近のは「どさくさまーにゃん」。ジュリアンを撫でてるとどこからともなく走ってきて
「あたちも!あたちも!」ってジュリアンに乗りかかるから唸られて逃げてただろ?
その時、どうしてどさくさ紛れに近場の座布団とかクッションをくわえて逃げんの??
パパとママは「まーにゃんのどさくさ祭りがまた始まった・・・(--:」と思ってたんだよ。
体調が悪くなる前のまーにゃんは、毎日が本当に楽しそうだったね。
レトリバー種は我慢強い犬とよく言われるけど、まーにゃんはまさにそのまんまだった。
楽しいことや嬉しいことは体全体で大はしゃぎだけど、辛いことや痛いことは我慢しちゃってた。
ごはんの催促したことはなかったよね、ケガしてるのにヘラヘラ笑ってたり。
まーにゃんのおかげでゴールデン・レトリバーという犬種が大好きになったんだよ。
パパとまーにゃんには日課があったよね。忘れてないよね?
「まーにゃんまーにゃん、カワイイね~」って言いながら眉間を撫でるやつと、
夜寝る前に「まーにゃん、今日もありがとう、明日も元気で」って抱きしめるやつだよ。
ヒミツの日課だったからママも知らないかもね。
パパに毎日言われたから、気力だけで最期の1週間を頑張っちゃったのかな?
苦しい思いをしたならごめん。
あのね、ずっと心にひっかかってたことがあったんだ。
ジュリアンが一人ぼっちだと寂しいかもしれないからと、遊び相手として家に来てもらったのが
まーにゃんだったんだ。最初は2番ポジションだったことをパパは気にしてた。なんか悪かったって。
でも、一緒に生活しはじめて変わっただろう? パパはジュリアンもまーにゃんも同じく愛したよ。
でも、まーにゃんが死んじゃって、この文章を書きながら気が付いて、愕然としたんだ。
まーにゃんはジュリアンにうるさがられても、邪険に扱われようと、時には噛まれそうになっても、
ジュリアンを嫌ったり怖がったりせず、毎日ジュリアンに「遊ぼうよ!」のポーズで尻尾を振ってたね。
それはパパとママが最初に求めたから、生涯をかけて約束を守ったってこと?
ジュリアンが9歳になってシニアになり、自分も8歳になって役目は終わったと思ったの?
そんなの切なすぎるよ、、、まーにゃん。。。
パパとママはシニアになって落ち着いたまーにゃんとも暮らしたかった。
でも、ママにメールをくれたある人が「まにょらしい最期だった」って言ってたらしい。
そうかもしれないね。本当にいつまでたっても子犬みたいに無邪気だったまーにゃんには、
シニア生活は似合わなかったかもしれないね。
ある日突然あっという間にお迎えが・・・ってパターンがまーにゃんらしいね(^-^)
2003年8月19日生まれのマノンは、2004年1月2日から2011年8月23日までは
パパとママとジュリアンと、そして2010年9月28日からはたみえも一緒に暮らしたね。
まーにゃん、生まれて来てくれてありがとうね。
家族になってくれてありがとう。
たくさん笑わせてくれてありがとう。
いっぱい愛してくれてホントにありがとう。
生涯まーにゃんのことを忘れないよ。まーにゃんと暮らした日々を忘れない。
絶対に忘れない。いつも家族の笑いの中心にまーにゃんがいたことを。
大好きなマノンへ この想いが届いていますように。
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by mikekinya
| 2011-08-24 00:00
| マノンの想い出